無題

昔書いてたやつですこれは

色んなこと


恐怖っていうのは、例えば目の前を特急電車が通過するたび足が震えてしまうこと、部活でみんなに迷惑をかけることとか。そういうのが全部複合されて、今の俺とか、最近の若者とかが、全く世の中に希望が持てない要因になってたりする。

時間の進み具合も俺にとってはその一つで。最近は時間が進むのがとても早い。去年とかは「あー普通に1年間って感じだったな」って思ってたけど、今年はなんか早かったな。もう2月ですよ。早すぎる。

時間っていうのは周りの環境をあっさり変えていくから、多分あと2ヶ月ぐらいすると会えなくなる人がまた増える。

好きだった先輩、塾のチューター、みんな、俺が大好きだった人から順番に俺の前から姿を消していく。そんな錯覚に陥ってしまう。

みんな、いつかは会わなくなった人になって、会えなくなった人になって。別れる前には気づかないけど、会えなくなってから、その人がどれだけ俺にとって大きな存在だったかが、ひしひしと実感する。そして、いつも寂しくなる。

呼吸ができなくなって、初めて酸素を吸っていたことに気がつくように、「言いたいことちゃんと言っとけばよかったなぁ」とか「いっつも感謝しかなかったのに、言葉にするのが恥ずかしくて結局話せなかったなぁ」とか、そういうことは会えなくなってから思い出す。実に無能、俺の脳は。

人のことを好きになったりすると、その気持ちはますます酷くなる一方で。その人の過去とか、今なにしてるのか、本当に生きてるのか、明日になったら死んでしまうんじゃないかとか、訳のわからないことで眠れなくなるぐらい怖くなったりする。

俺は、俺という人間がいかに弱いかを重々理解してるから、自分よりも優れてる人とか、かっこいい人に依存する傾向が人より何十倍も強い。

人もそうだし、初めて好きになったバンドがバンプだけど、まさにそういう気持ちで、最初は。

藤原基央かっけえ、それを支えるメンバーもついでにかっけえ、ってなって。そして近づきたいと思った。前髪とかアホほど長くしたりして。本当バンドマンでもない一般人があれやるとマジで頭がおかしい人になるからまじでやめとけ。ほんとにラフメイカー冗談じゃねぇよ。

ボソボソ喋るようになって、猫背になって。そういう口調ひとつ取っても全部藤原基央から受け継いだもので。ほんとに、くだらんところだけリスペクトして、藤原基央の内側にある見えにくい部分は全く無視して、見かけだけの部分を真似してただけだったよ、結局。

17歳になって気づいたことは、結局自分にできないことはできないというか、そういう中学生の冷めた青春の後味のような、そんなことぐらいしかわからなかった。

これから大人になっていくけど、19歳になった俺は、今の俺よりマシになっているかは想像もつかない。期待は尚更できない。20代になっても、おじいさんになって、死ぬ直前すらも、「ああ自分ってほんと何もできないクソみたいな人間だったな」って、それが本当にそう思ってそうだから怖いのである。

生きる気力がない分、期待とか信頼の類は無意識に排除して生きてきたし、それは自分自身に取っても同じことで。自信なんてこれっぽっちもない。

それでもやっぱり、その日起きたこと、嬉しかったことは、きちんと肯定的に受け取れる人にはなりたい。その人の下心なんか想像せずに、自分にしてくれた優しさは、心の奥にしっかりと留められるような。そんなことができるのは、いつになるんだろう。

この文章だって、俺個人のためだけの日記みたいなもんだけど、それでもネットに公開してるってことは、やっぱり心のどこかで自分に期待しているのかもしれない。

その期待が、叶うといいけど。